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多賀町立博物館は、滋賀県多賀町とその周辺の自然や人々の文化をテーマにした総合博物館です。

TEL. 0749-48-2077

〒522-0314 滋賀県犬上郡多賀町四手976-2

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常設展Permanent Exhibitions

アケボノゾウの復元骨格


 1993年、滋賀県犬上郡多賀町の四手の、現在『多賀町立博物館(「あけぼのパーク多賀」内)』が立っているところから2kmほど離れた造成地で、約180万年前の昔の琵琶湖にたまった粘土の中から,アケボノゾウというゾウの全身の骨格の化石が発見されました。
 多賀町のアケボノゾウの化石は、全国でももっとも完全に近い形で発見されました。そればかりか、アケボノゾウを含むグループであるステゴドン科のゾウ化石では、アジアで2番目によくそろった骨格です。そのため、アケボノゾウのからだの特徴がよく分かってきました。
 当館の中庭には、このアケボノゾウが見つかった状態を産状ジオラマで再現しました(下の写真)。 ホールでは,組み立てた骨格と生体復元模型を展示しています(上の写真)。また,展示室内では,見つかった骨化石の大部分を実物で展示しています。

アケボノゾウについてくわしくはこちら

◆アケボノゾウ復元骨格と生体復元模型

◆産状ジオラマ


多賀町の自然


 地形や植物、けものや鳥、昆虫などの動物など、多賀町とその周辺の現在の自然を紹介するコーナーです。
 多賀町は、鈴鹿山脈の北東部とその山麓を占めていて、その中には石灰岩地帯を多く含み、崖の多い険しい地形です。また、昔の琵琶湖にたまった地層である古琵琶湖層でできた丘陵地や、現在のびわ湖へと続く平野部もあります。このように、変化に富んだ地形、また石灰岩地帯が多いということ、表日本植物区、裏日本植物区の境界にあたっていることもあり、植物や動物が豊富です。
 展示では、ニホンカモシカ、イノシシ、キツネ、ムササビなどの動物のハク製を配置したジオラマやチョウ、トンボなどの昆虫や植物の実物標本で、多賀町の自然の豊かさを感じられるようにしています。

◆「多賀の山々」のジオラマ。石灰岩の急なガケを表現しました。

◆「人里の自然」のジオラマ。もっといろいろな動物がいます。

◆昆虫や植物の実物展示


近江カルスト


 鍾乳洞などを含むカルスト地形やそこに住む生き物を紹介するコーナーです。

石灰岩 〜炭酸カルシウムで
できた石〜
 多賀町の山には、石灰岩という石でできている場所がたくさんあります。石灰岩は主に炭酸カルシウムという物質でできた石です。炭酸カルシウムというのは、貝のカラやタマゴのカラを作っているのと同じ物質です。大気から海水の中に溶けこんだ二酸化炭素と、岩石が風化されるときに川や海に溶けこんだカルシウムが、海の中で結合して、溶けきれなくなって沈殿したり、海の生き物の働きによって結合されて、炭酸カルシウムができます。石灰岩は、こうしてできた炭酸カルシウムが海底に積もってできたものです。
 多賀町の石灰岩は、約2億8000万年前の海の中でできたものです。それが、長い間の地球の動きによって陸上に押し上げられ、今、私たちの目の前の山を作っているのです。
侵食作用  
 一般に、岩石が地上に現れていると、雨や川の流れ、温度の変化などで、岩が壊されたり、溶かされたりして、ばらばらになって砂や泥になったり、川や海の水に溶けこんだりして、海へと運ばれていきます。こうした作用を侵食作用といいます。
炭酸カルシウムの性質
 炭酸カルシウムは、純粋な水にはほとんど溶けませんが、炭酸水には溶け込むことができます(炭酸水に炭酸カルシウムが溶けているときは、炭酸水素カルシウムという物質になっています)。また、こうして溶けた炭酸水素カルシウムは、温度が上がったり、炭酸が抜けたりすると、水に溶けていられなくなって、また固体の炭酸カルシウムとして析出してきます。
石灰岩 〜雨水に溶ける、
また固体に戻る〜
 雨水は空気中の二酸化炭素を溶かし込んで、薄い炭酸水になっているので、炭酸カルシウムを溶かすことができます。一般の岩石は、雨水にはほとんど溶けないのにたいして、石灰岩は、雨水に溶け込んだり、また固体に戻ったりできるという大きな違いがあります。
カルスト地形
 石灰岩でできた大地が侵食されるとき、上に述べたように、雨水(や土壌中の水)で溶かされる、と言うことが中心になるため、他の岩石が侵食されるときとは違った独特な地形を作ります。それをカルスト地形といいます。
 地表面では、石灰岩の割れ目にしみ込む水が周りの石灰岩を溶かし、溶かされて広がった水の通り道に水が集中して流れるため、さらにその通り道が大きくなる、というようにして、すり鉢型の凹地(ドリーネ)ができたり、石灰岩に規則的に入った割れ目に沿って石がとかされ、とがった岩が並んだような地形(カレンフェルド)ができたりします。
 また、地面の下では、割れ目に沿ってしみ込む水の通り道がだんだん大きくなり,鍾乳洞と呼ばれるトンネルができます.鍾乳洞の中には,水に溶けた炭酸水素カルシウムが,再び固体の炭酸カルシウムとなって析出することによって,いろいろな形の鍾乳石ができます。


◆高室山のドリーネ


◆ドリーネの底には洞くつがあるものもあります


◆経塚山のカレンフェルド


◆鍾乳洞「河内の風穴」
洞くつの中の生き物
 洞くつの中は、1年を通して湿度が高く、温度変化が少ない暗黒世界です。こうした特殊な環境の中にも、独特な生き物たちがいます。その中には、目がなくなったり体の色がなくなったものもいます。



権現谷の化石


 多賀町内の石灰岩の中から見つかる化石のコーナーです。

2億8000万年前の海
 多賀町の山には、石灰岩という石でできている場所がたくさんあります。多賀町の石灰岩は、古生代ペルム紀と呼ばれる時代、約2億8000万年前の海の中、ちょうど現在の太平洋のような大きな海の、大陸から遠く離れた火山島や海台の浅い海でできたものです。
 この石灰岩の中には、たくさんの化石が入っています。特に芹川の上流の権現谷(ごんげんだに)というところでは、化石がよく見つかります。このページの化石は、すべて権現谷で見つかったものです。

三葉虫の化石  
 三葉虫は、節足動物(昆虫、カニ、クモなどを含む大きなグループ)の一員で、海の底をはって生きていました。三葉虫は5億7000万年も前、古生代という時代のはじめの頃にあらわれ、5億年前頃には繁栄の頂点を迎え、たくさんの種類がいました。しかし、その後だんだんに種類が減り、約2億5000万年前には完全に絶滅しました。
 多賀町の三葉虫は、三葉虫の長い歴史の中では終わりに近い時代のもの、ということになります。多賀町の三葉虫は大変小さいもので、カラのつなぎ目から別れてバラバラになってでてきます。
◆尾の部分
腕足動物の化石
 腕足動物は、見たところは二枚貝に似ていますが、まったく違う海の動物です。古生代の地層からは、約3万種が見つかっていて、大変繁栄ていた事が分かります。しかし、現在ではシャミセンガイの仲間やホウズキガイの仲間など、約260種しかいません。 多賀町の権現谷では、数種類の腕足動物化石が見つかっています 。

ウミユリ類の化石
 ウミユリ類は、ウニやヒトデの仲間の動物(棘皮動物)で、ユリの花のような形をしているところからウミユリ類と呼ばれています。多賀町のウミユリ類の化石はユリの花でいえば“茎”にあたる部分がバラバラになったものがほとんどです。写真はその断面です。

サンゴの化石
 写真のサンゴの化石は、直径が5mm程度の小さなものです。このサンゴは、四放サンゴ類と呼ばれる大きなグループの一員です。四放サンゴ類は、約4億5000万年まえにあらわれ、約2億年にわたって栄えてたくさんの種類が現れました。
 しかし、古生代という時代の終わり、約2億4500万年前に、何らかの原因で地球全体にわたって多くの生き物、特に海の生き物が大量に絶滅するという事件がおこりました。四放サンゴ類は、その時に絶滅したため現在では見られません。現在栄えている六放サンゴ類などは、その後交代するように現れてきたものです。

フズリナ類の化石
 写真の化石は、長い方のさしわたしが14mmほどあります。こんなに大きくても、アメーバやゾウリムシのように細胞が1個しかない単細胞生物です。 単細胞生物というとすぐ思いうかべるのは細菌(バクテリア)かもしれません。単細胞の生物にも大きく分けて3種類あり、小さくて単純な構造をもつ細菌の仲間と、同じく小さくて単純な構造を持つ古細菌の仲間、比較的大きくて複雑な構造をもち原生生物とよばれるものがいます。フズリナ類はこの原生生物の一員です。
 原生生物というのは、複雑な構造の細胞を持っているけれども、動物でも植物でもないい生物、そのなかには、アメーバやゾウリムシ、ミドリムシなどいろいろな違った種類の生物がいますが、それらをを全部まとめて呼ぶときに使う言葉です。原生生物のなかには、多細胞のものもいますが、大部分は単細胞の生物です。
 フズリナ類の仲間は、その中でも有孔虫という仲間に属し、単細胞生物なのに写真のように複雑なカラをもっていいます。フズリナ類は、古生代の後半に世界の海で栄えましたが、古生代の終わりと共に絶滅しました。



アケボノゾウの化石


 展示室では、アケボノゾウの全身骨格化石の実物を展示しています。
また、瀬戸内海産のアケボノゾウ頭蓋骨化石の複製や手で動かしてみることのできるアケボノゾウの前肢の骨格なども展示しています。
 なお、エントランスホールには、この多賀町産のアケボノゾウ化石の複製を組み立てた骨格や、生体復元模型、産出状況模型があります。

アケボノゾウの発掘
 1993年2月、多賀町四手で行われていた造成工事の際、現場で作業していた建設会社の方たちが、古琵琶湖層の粘土の中から大きな動物の骨らしきもの(後でアケボノゾウの腰の骨と判明)を見つけました。それをきっかけにして、この付近の地層を前々から調査していた小学校や高校の先生たちが中心となって、何回も通って発掘するうちに、アケボノゾウの骨が一頭分埋っていることが分かってきました。
 そこで、3月19日より多賀町教育委員会と琵琶湖博物館の合同で、学校の先生方も加え、本格的な発掘が始まりました。その結果、4月3日までかかって見事に1頭分の象化石がほりあげられました。
◆発掘の様子
日本にもゾウがいたの?  
 ゾウの仲間は、現在はアフリカゾウ・アジアゾウの2種類が熱帯の地域にいるだけですが、過去にはたくさんの種類があらわれ、世界の各地から160種類もの化石が見つかっています。日本では,そのなかの約10種類ものゾウが入れかわり立ち代わりあらわれます。
 これは、主には、日本列島と大陸が陸続きになるたびに、新しいゾウが日本に入ってきたためだと考えられます。
日本で進化したアケボノゾウ
 アケボノゾウは、その中で約250万年前から100万年前のゾウですが、他のゾウと違って化石が日本だけから見つかっていて大陸では出てきません。アケボノゾウは、日本で独自に進化して生まれたゾウだということになります。
 アケボノゾウがあらわれる前の日本には、約450万年前に中国からわたってきたシンシュウゾウと呼ばれている巨大な(肩までの高さ約4m)ゾウがいました。アケボノゾウは、このシンシュウゾウを祖先として進化し、生まれてきたと考えられています。
アケボノゾウは現在のゾウに対して「おじさん」か「いとこ」?
 現在のアジアゾウ、アフリカゾウは、化石で出てくるマンモスゾウやナウマンゾウなどと共に「ゾウ亜科」という現代型のゾウのグループを作っていますが、アケボノゾウやシンシュウゾウは、「ズテゴドン科」という別のグループに属します。
 ステゴドン科は、約2000万年前から、南〜東アジアを中心に栄え、30種類ほどの種類が生まれました。ゾウ亜科より古くはじまった系統で、現在は絶滅していますが、ステゴドン科は、ゾウ亜科と同じぐらい繁栄したゾウの系統の中での「成功者」といえます。
 「ゾウ亜科」のメンバーどうしを「兄弟」にたとえると、アケボノゾウは、「おじさん」か「いとこ」のような関係になります.
アケボノゾウってどんなゾウ?
 多賀町で見つかったアケボノゾウの骨格の化石は、全国でも最もよくそろっていたので、アケボノゾウの体の形がよく分かってきました(下の写真)。
 アケボノゾウは、前あしの部分の背中の高さが約2mで、小型のゾウでした。体の割には大きなキバ(ゾウのキバは犬歯ではなく切歯です)をもち、他のゾウと比べるとやや胴長短足でした。

どうして多賀町でアケボノゾウの化石が出てきたの?
 アケボノゾウは多賀町だけにいたわけではありません。関東より西の各地から化石が出てきます。しかし、多賀町のように一頭分の骨がそろって出てくることはまれです。では、どうして、多賀町でアケボノゾウの化石が保存されたのでしょうか?
 それを考えるためには、当時の環境を知る必要があります。多賀町のアケボノゾウが見つかった地層は、粘土の地層です。この粘土は、昔の琵琶湖にたまったものです。琵琶湖は、現在よりずっと南の方ではじまり、北へ北へと移動して現在の位置に来ました。
 「琵琶湖」といっても、いつも現在のびわ湖のように深く水をたたえた湖であったわけではありません。水がたまっているかどうかは別として、地面の「へこみ」が移動してきた、という意味です。180万年前にはちょうど多賀町のあたりに琵琶湖(「へこみ」という意味での琵琶湖です)の北のはじがありました。そして、川が運ぶ土砂で、そのへこみが埋め立てられ、湿地や池や沼の多い平原になっていたと考えられます。そして、川がたびたび洪水をおこして流路を変えたり、広い範囲が水びたしになって泥や砂がたまったりするような場所だったのでしょう。そういう場所にはゾウが水を飲んだり浴びたりするために集まる事が多く、そこで死ぬゾウも多かったことでしょう。そこで死んだ1頭のゾウの遺体が、その後に起こった洪水で、川が運んだ粘土に埋まったために化石になったと考えられています。一般に、陸上の動物の化石が残るためには、そこにたくさんの動物がいることと、動物が死んだ後急速に土砂に埋ることが必要だといわれています。
 当時の多賀町のこの場所は、「琵琶湖」の一部だったせいで、ちょうどその条件を満たしている場所だったということになります。
◆想像図

シカの化石


 約180万年前の古琵琶湖層から見つかったシカ類の化石です。多賀町四手の古琵琶湖層からはアケボノゾウだけでなく、これまでに少なくとも14頭分の鹿の化石が発見されています。その中には日本でも珍しい全身骨格の化石が含まれています。これらの化石ジカは体の大きさがわずかに大きい他は、現在のニホンジカとよく似た体つきをしていました。しかし、角の特徴はニホンジカのものとは異なっていて、現在東南アジアなどに生息しているルサジカやアクシスジカと近い種類ではないかと考えられます。


◆多賀町四手で見つかったシカの化石
ほぼ全身の化石が見つかったメスのシカの化石(写真左)
オスのシカの頭蓋の化石(写真右下)


◆多賀の化石ジカの特徴


◆日本各地の化石ジカの複製も展示しています.
・約150万年前のカズサジカ(長崎県産 写真左上)
・約100万年前のシカマシフゾウ(兵庫県産 写真右下)
・約14万年前のニホンムカシジカ(千葉県産 写真左下)


琵琶湖の移動と古琵琶湖層


 昔の琵琶湖にたまった地層とそこから見つかる化石を紹介するコーナーです。
 多賀町でアケボノゾウやシカの化石が出てくる地層は古琵琶湖層と呼ばれていて、多賀町では主に粘土や砂礫層からなっています。これは、昔の琵琶湖のへこみを埋め立ててたまったものです。 現在では琵琶湖とは離れてしまっている多賀町で琵琶湖の地層が見られるのは、琵琶湖のへこみが約400万年もかけて南から北へと移動しているからです。
 多賀町で見られる古琵琶湖層はそのなかでも蒲生累層と呼ばれる地層で、今から約200万年ほど前のものです。多賀町四手の古琵琶湖層からは、アケボノゾウやシカだけでなく、カメや貝、植物など、いろいろな化石が出てきます。


◆古琵琶湖層から出てきたいろいろな化石や、地層そのものをはぎとってきたものを展示しています。


ナウマンゾウの化石


  多賀町に流れる芹川で発見されたナウマンゾウの化石を紹介するコーナーです。

ゾウの歯の見つかる川
 多賀町の久徳〜中川原にかけての芹川の河原では、たった2kmぐらいの範囲から、今までに18個ものナウマンゾウの化石が見つかっています。その大部分は臼歯(きゅうし━奥歯です)の化石で、15点あります。下の写真は、その一つで、右の下顎の第3大臼歯といってヒトでは“おやしらず”にあたる歯の化石です。芹川では臼歯の化石の他にカーブにそって測った長さが2m10cmもある切歯(象牙)の化石、切歯のかけらと骨片が各1点見つかっています。このように狭い範囲からゾウの化石がたくさん見つかる地点は日本でも数ヵ所しかありません。
 1916年(大正5年)頃、野村海蔵さんという方が子供のころ、中川原付近の河原で臼歯の化石を拾ったのが始まりで、 これまでに多くの地元の方によって15点の臼歯の化石が発見されました。

本当はどこに埋っているの?〜対立する2つの説〜
 ナウマンゾウが日本にいたのは約30万年前から約3万年前までです。芹川のナウマンゾウはそのうちのどの時代のものでしょうか?また、ナウマンゾウがいた時代のこのあたりの様子はどんなだったのでしょうか?そして、なぜここで化石として残ったのでしょうか?これらの問いに答えるためには、化石そのものだけでなく、その化石が入っていた地層をよく調べる必要があります。
 ところが、芹川のナウマンゾウ化石は川の中で拾われたもので、本当はどこから流れてくるのかが、なかなか分かりませんでした。化石がどこに埋まっていたのかがわからなければ、化石が入っていた地層も分かりません。これでは、ナウマンゾウがいつの時代のものか、どんな環境でくらし、化石になったのか、などを考えることができません。
 そこで、ナウマンゾウがいったいどこに埋まっていたのか、2つの推測が長い間対立していました。その1つは、発見場所の近くかその上流の、芹川や四手川の河原にナウマンゾウがいた時代の地層があって、そこから洗い出されてくる、という考え。2つ目は、芹川の上流の石灰岩の割れ目にナウマンゾウの化石がたまっていてそこから削り出されてくる、という考え方です。  
切歯化石の発見〜化石を含んでいたのは川底の地層そのものだった
 1998年11月1日、カーブにそって測った長さが2.1mもある切歯(象牙)の化石が発見されました。発見したのは小早川隆さんら、滋賀県内の学校の先生たちです。芹川のナウマンゾウのナゾを解こうと、20年間にわたって芹川を歩きつづけた末の「執念の発見」でした。
 見つかった切歯の化石は、ねじれや曲がりが強いなど、ナウマンゾウの切歯の特徴をそなえています。この切歯の化石は、河底の礫層(れきそう━石ころが集まった地層)にうまったまま発見されました。ナウマンゾウの化石をふくんでいたのは、川底の礫層だったのです。この付近の川底に露出しているこの礫層は、ナウマンゾウがいた時代の川によって作られたものである可能性が出てきました。


◆発見直後少しだけ掘り進んだところ。ピースしているのは第一発見者の小早川隆氏(現多賀町立博物館館長)

姿をあらわしたナウマンゾウの切歯化石
ナウマンゾウってどんなゾウ?
 日本にやってきた10種類ばかりのゾウのなかで、ナウマンゾウは比較的新しい時代のもので、日本ではいまから約30万年前に現れ、約3万年前にいなくなりました。北海道では、さらにそのあとの時期までマンモスゾウがいましたが、それ以外の地域では日本最後のゾウ、という事になります。
 ナウマンゾウは、地面から肩までの高さが1.9m〜2.7mで、現在のアジアゾウと同じぐらいか一回り小さい程度の大きさでした。おでこがベレー帽をかぶったようにふくらむ、背中を横から見ると肩と腰の部分がやや高い、オスは強く曲がっていてねじれも強い、大きなキバを持つ、等の特徴があります。
ナウマンゾウと現在のアジアゾウやアフリカゾウとの関係は?  
現代型のゾウ━「ゾウ亜科」  
 ゾウの仲間は現在ではアジアゾウ、アフリカゾウの2種しかいませんが、過去にはたくさんの種類が現れて、世界中に広がりました。現在化石で知られている種類を数えると約160種類になります。ナウマンゾウは、そのなかで、化石で出てくるマンモスゾウ、現在のアジアゾウ、現在のインドゾウなどと共に、"ゾウ亜科"というグループに入ります。
 ゾウ亜科は、1000万年ほど前にアフリカで生まれ、その後世界中に広まった大きなグループで、5000万年にもわたるゾウの仲間の歴史のなかでは比較的新しい、"現代型”のゾウのグループと言えます。
ゾウ亜科の中で
 ゾウ亜科には化石で知られているものを数えると40種ほどのゾウが含まれますが、5つのグループに分けられています。@プリメレファス属(ゾウ亜科全体の祖先型)Aロクソドンタ属(アフリカゾウの仲間)Bエレファス属(アジアゾウの仲間)Cマムートゥス属(マンモスゾウの仲間.日本にきたシガゾウやケナガマンモス=狭義のマンモスを含む)Dパラエオロクソドン属(ナウマンゾウの仲間)です。  
 ナウマンゾウはその中でDのパラエオロクソドン属の1員です.
ナウマンゾウのオス・メス  
 ナウマンゾウについては、図のようにオス・メスの違いがよくわかっています。オスの切歯(象牙)は、太さが15cm程度長さが最大2.4mもあるのに対して、メスのキバは、太さが6cm程度、長さが60cmくらいしかありません。多賀町で1998年に発見された大きな切歯(象牙)の化石はオスのもの、ということになります。

多賀の人々の歴史


 多賀町の遺跡から出土した土器や多賀大社に伝わる古文書・参詣曼荼羅(複製品)などを紹介するコーナーです。

土田遺跡の紹介
 平成10年度に発掘調査を行った土田遺跡からは、縄文晩期の土器棺墓が検出されています。 これまでにも久徳遺跡などから単独で出土していましたが、土田遺跡では20基の土器棺墓や土坑墓・木棺墓が発見されました。 これまでに例をみない入れ子状で出土したものもあり、時期は縄文時代晩期(篠原式〜長原式)です。
 土坑や土器内の埋土からは焼かれた成人男性の歯が見つかり、別の場所で焼かれ土器内に埋葬されたことがうかがえます。他にナマズやシカの骨などが出てきました。
 水銀朱の施された土坑や、焼かれた痕跡のある石剣などの石器類、土偶なども見つかっており、 縄文時代の墓制について知ることのできる貴重な資料です。
◆土器棺に使用された縄文土器


◆土器に刻まれた線刻とひびをひもで補修するために開けられた1対の孔
楢崎古墳群の紹介
  楢崎古墳群は6世紀後半から7世紀前半にかけて形成された群集墳(小規模な古墳の集まり)です。これまでに74基の古墳が確認されています。
 現在、墳丘が残るものは1基のみですが、地面の下の石室の残りは良く、様々な石室形態がみられ、短い造営期間内にも変化がみてとれます。
 銀象嵌の施された大刀の金具や階段式石室、石室内へのベンガラの散布、朝鮮半島系の副葬品などが発見されています。

◆楢崎古墳群から出土した副葬品