4件の文化財が町指定文化財に指定されました

平成18年7月1日付けで、新たに町指定文化財となった4件をご紹介します。

多賀大社建造物十一棟(町指定有形文化財 建造物)

多賀大社建造物

  • 本殿1棟 附、透塀一棟 附、棟札一枚
  • 祝詞舎1棟
  • 幣殿1棟 附、東西翼廊二棟 附、棟札二枚
  • 回廊2棟
  • 拝殿1棟 附、棟札二枚
  • 拝殿袖廻廊2棟
  • 手水舎1棟 附、棟札一枚
  • 神馬舎1棟 附、棟札二枚
  • 表門1棟 附、築地塀二棟 附、棟札一枚

所 在■多賀町多賀

所有者■多賀大社

時 代■明治から昭和初期

由来または沿革

 「古事記」にその名が記され、「延喜式」には多賀神社二座とあって古くから所在した多賀大社ですが、社殿の造営については、古代から中世にかけて、造替あるいは修理がくり返されて現在に至っています。
寛永10年(1633年)から5年間を要した大造営は、本殿、拝殿、庁屋、境内外の摂社末社、本地堂、僧坊、書院、鐘楼堂、三重塔、日向社、さらに当時多賀大社の末社であった胡宮神社、大瀧神社、千代神社におよぶ大規模なものでした。
 しかし、一世紀余り後の安永2年(1773年)の大火災で本社はじめ諸堂社、不動院などのすべてを焼失します。火災後、ただちに復興にとりかかり、翌年には書院が完成し、ほかの建物についても、最小限の必要な建物が復興しました。本殿については、仮本殿が造られ、35年後の文化5年(1808年)に本格的な本殿が造られました。この本殿は昭和造営に際して取り壊し、豊郷町白山神社に移築されて現存しています。
 明治の神仏分離令を受けて、建物の撤去あるいは再建をしたため、建物配置に統一性を欠き、必須建物の神楽殿、神饌所がありませんでした。そのため、大正8年(1919年)に境内整備の大計画がたてられ、この事業の中で、本殿・祝詞舎・幣殿・神饌所の4棟が、国費工事として昭和4年から7年にかけて行われ、神社直営工事もこれと並行して進み、昭和8年に昭和大造営事業が完成しました。

指定の事由

 表門から参道に沿って、本殿まで一直線上に配置された建物は巧妙に計算され、なかでも拝殿から本殿にかけて段々状に重なった桧皮葺屋根は華麗で変化に富み、優れた近代の神社建築群として価値の高いものです。


 

多賀大社奥書院障壁画二十七面(町指定有形文化財 絵画)

多賀大社奥書院障壁画

所 在■多賀町多賀
所有者■多賀大社
時 代■江戸時代

由来および沿革

 多賀大社奥書院の創建は、安永3年(1774年)ごろで、その後2回の改装を経て現況に至ったと考えられています。滋賀県指定文化財です。当初は書院としての要素が見られず、神仏習合による仏堂的な建物であったとされています。1回目の改装時に仏堂的建築から書院建築にするために現在の6室構成になり、この時、現在の障壁画が収まる床の間や違い棚、襖建てが改変、設置されたと思われます。その時期は、寛政3年(1791年)の大風による諸堂倒壊後の、同11年からの修復着手で、その時に描かれたものと考えられます。

指定の事由


 町内に他の例がない、江戸時代に描かれた障壁画群であり、その筆法には見るべき点も多くあります。また県指定の建築物に付随して、建築期とさほど遠くない、第1回目の改装時からの姿をそのままにしている部分もあります。